セラフィータ(4)

パブリック・スクールの建物が沈みかけた日差しを受けて輝き始めている。アンジェリカは開き窓から赤く染まった隣の校舎を見るともなしに眺めていた。
「アンジェリカ、何を見ているの?」
「…レイ」
「もうそろそろ、誰もいなくなる時刻だよ。あなたが一人でこんなところに残っていると、学級委員の私としても何かあったら困るから、早く帰りなよ」
「秋の日差しってすごくきれいなの。レイも見てみて」
「―きれい?」
アンジェリカの隣に体を滑り込ませると、彼女は手すりに手をかけて窓外へと視線を向けた。蔦に覆われた赤煉瓦の何の変哲もない建物に夕暮れの日差しが当たっているだけである。目をしばたかせながらレイは云った。
「あなたぼーっとしててよく分からないけれど、少なくとも美術の先生に気に入られているだけはあるね。私は毎日見てるけれどそういうこと考えたことなかったからなあ」
「お父様がよく聞かせてくれるの。お母様の故郷の日差しと、ここの秋の日差しはどこか似ているって」
「アンジェリカは、確か母さんいないんだっけ」
「…うん。でもお父様がいるから寂しくないよ」
「そうかー」
少しきつい質問をしてしまったと反省したのか、レイはしばらく自慢のブロンドを弄ぶようにしながらもじもじしているようだった。ややあって口を開く。
「うち、後で遊びにおいでよ。弟とかうるさいけれど、その」
「ありがと。そうしたら、私も自慢の手料理作って遊びに行くね」
自慢の、というところでちょこっと肩をすくめて笑う彼女に、レイもつられて笑ってしまう。全く性格が違うことから普段はクラス内でも距離を置いていた二人だが、どことなく角がとれた雰囲気になる。
「料理なら私だって負けないよ。最近はシナ料理だって出来るんだからね」
「極東の料理も出来るの? やっぱりレイすごいなあ…」
「といっても、フライド・ライスくらいだけれど。あ、ばらしちゃった」
「フライド・ライス?」
「細かく刻んだシナの食材とライスを油で炒めるの。結構さっぱりしてておいしいよ」
「今度、作り方教えてほしい」
「いいよ。アンジェリカはどんなのが得意?」
「私は…」
料理の話題で盛り上がり、気がつくとすっかり窓の外は暗くなってしまっている。レイははっと口をつぐんで苦笑した。
「ねえ、すごく暗くなっちゃったよー。どうしよう、図書室に本返すはずだったのに」
「そのラテン文法の本?」
 二人で顔を見合わせて笑う。どちらからともなく並ぶと、一階へと続く階段に続く廊下歩き出す。鞄を肩に引き上げながらレイが屈託なく提案した。
「ねえ、これからアンジェって呼ぶからね?」
「いいの?」
「今まで暗い子かと思ってたけれど、気に入っちゃった。とぼけてて面白いよ、アンジェって」
「ひどーい。でも、そうかも」
言葉を交わしながら階段近くまで来たところで、ふとレイは口を閉ざした。
「?」
「…そういえばさ、最近出るのってこの辺りって話じゃない? 嫌なこと思い出しちゃったなー」
「亡霊のこと?」
「私、実はそういうの弱いのよ。参ったなあ」
やや不安そうな表情になるとレイは両腕で体を抱くようにして辺りを見回した。普段は男子生徒にもひけをとらない気の強さを誇る彼女の仕草が意外で、思わず隣でアンジェラは苦笑してしまう。
「ちょっとちっちゃくなったみたい」
「アンジェは怖くないの?」
「お父様がね、亡霊は知らない人は襲わないから大丈夫だって」
「根拠がないじゃない〜、納得できる理由がないと信用できないのよー」
「…」
半べそ状態で首を振る彼女を、目を丸くして眺める。クラスの男の子が見たら驚くだろうな。片思いしている(みたいな)セフィル君とだって喧嘩ばかりしなくてすむのに、―。
「ちょっとだけ袖、つかまっていい?」
「うん」
アンジェは頷くと袖口を差しだし、てくてくと階段へと向かって歩き出した。引きずられるようにレイも着いていく格好となり、やがて二人は階段の折口まで来た。
等身大の壁掛け鏡が、階段途中にある踊り場には打ち付けられている。その鏡の九十度向かいには張り出し窓があり、そこから生徒が飛び降りたと云うことで、現在は窓は窓枠に釘付けになっていて開くことはない。
「目つぶっていていい? 私、アンジェにつかまっていく」
「階段があるのに?」
「手すりにもつかまるから平気。階段から落ちるより亡霊を見ちゃう方が嫌」
「じゃ、気をつけてね。ゆっくり降りるから」
アンジェは硬直したレイの腕を支えながら階段へと足を踏み出した。
踊り場まで何事もなく進み、ほう、と一息ついてアンジェリカは鏡へと目をやった。
そこに移っているのは、自分とレイ、そして開け放たれた向かいの窓だけである。よかった、と肩をすくめて通り過ぎようとした時、彼女はあることに気づいて斜め後ろの出窓を振り返った。
「……開いていない」
「早く進もうよ」
 もう一度鏡に目をやる。そこに写った窓は確かに開いている。そして、後ろ向きに窓枠へと手をかけて佇む少女の姿。本来なら自分たちと背中合わせに立っているはずの位置。
アンジェリカは奇妙に冷静な自分を感じながら、鏡へと歩み寄った。
(この人は、誰なんだろう)
 レイが薄目を開けるとそんな彼女をちらりと見て尋ねた。
「どうして立ち止まってるの?」
「ここ、私たちのほかに誰かがいるの。鏡に映ってる」
「冗談云わないでよ」
嫌々をするように云うと、レイははっと気づいた様子で小脇に抱えた本を凝視した。
「どうしたの?」
「この本…誰かが引っ張ってる…」

 窓枠にもたれる少女は振り向いている。その顔は月明かりを背に受けてはっきりとは分からないが、こちらを見つめているようにも見える。
そして、ゆっくりと

「アンジェ!」

ゆっくりと、鏡の中から腕が伸ばされ

「触れるな!!」

白い衣が目の前に翻り、勢いよく二人は階段の下へと突き落とされた。
「きゃあああ…!」
たくましい腕が微動だにせずその体を受け止めた。そのまま背中に回された腕がぎゅっと二人を包み込む。温かいぬくもりと安堵した吐息が体に伝わってくる。
お父様、と直感した。私たちはお父様に抱きしめられている。
それでは、突き落としたのは誰?
「セラフィータ!」
父親が叫ぶ。戦場で発せられるような、指揮官としての凛とした声。
応ずるかのように、ばさっと羽が打ち下ろされる…そんな感じの…音がした。
「拳銃を貸せ、ヴィクター!」
自分たちを包んでいた腕が片方ほどかれ、うなりを立てて階上へと鉄の塊を投げる。
 数発の銃声。壁にぶつかる、どん、という音、ガラス片が砕け散る響きと、
「な、…」
父親が息を呑む様子。
少女の絶叫が確かに、アンジェリカの耳にも届いた。
どのくらい時がたったのか。
腕に込められた力が少しゆるみ、彼女はおずおずと目を開けて声がした方向を見た。
そこから降りてくるのは一つの人影だ。宵闇の中で白い衣装を身にまとい、気怠そうに肩を押さえたきれいな人。セラフィム天使様だ、と思った。
「何とかなったようだな」
「…そうは思えないけれどね」
 皮肉めいた言葉を返すと、ゆっくりとこちらに近づいてくる。
「あなたの化け物みたいな拳銃のおかげで、僕は思い切り壁に叩き付けられた」
僅かに彼女たちを見下げる位置まで降りてくると、その人は肩から手を離してぼやいた。
近くで見ると、お話の中のお母様にどこか似ている気がした。
「悪いけど見せ物じゃないんだ、僕は」
かけられた声にびくりとするが、その言葉は同じく腕の中から顔を出しているレイに向けられたものらしかった。
「大丈夫、レイ?」
「この人、誰? 私たち、どうなったの」
「信じられんが―」
 その人はお父様に拳銃を投げ返しながら、僅かに笑った。
「云わなくていいよ。もう終わったことだからね。占いは見事外れ」
そのまますれ違うと、何年もこの場所にいるような足取りで玄関のある方向へと歩いていってしまった。
お父様は、何か云いそうな顔でそちらを見送っていたけれど、やがて、首を一つ振って私へと微笑んだ。
「あいつの占いは、当たりすぎるから外れるんだな。…何にせよ無事でよかった、アンジェもそのお友達も」
レイは目を丸くしたきり、お父様の顔と立ち去っていった人とを見比べていたけれど、やがて静かにしゃくり上げ始めた。緊張が一気に解けてしまったみたいだった。

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